日が長くなって、夕飯の支度がなんとなく億劫になる時季があります。台所に立つのも、火を使うのも、少し気が重い。そういう晩に、私は食器棚のいちばん涼しい段へ手を伸ばします。夏のあいだだけ前へ出てくる器が、いくつかあるのです。口の薄いそば猪口、すりガラスの小鉢、青みの差した片口。冬は奥にしまわれているそれらが、暑くなると自然と手元に戻ってきます。
古いものは、季節で使い分けるとちょうどいい。夏は、見た目の涼しさが料理と同じくらい大事になります。冷たいものを、冷たそうに見える器に盛る。それだけで、火照った体が少しほどけます。難しい骨董の話はいりません。手元にある古い器を、暑い日の食卓へ一つ出す。その小さな支度の話を、少しだけさせてください。
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そば猪口は、そばだけの器ではありません
そば猪口ほど、夏に働いてくれる器はありません。もともとは蕎麦のつゆを入れるためのものですが、口が広くて底が深いので、使い道がずいぶんあります。麦茶を注げば冷茶の器になり、水羊羹を落とせば小さな菓子鉢になる。枝豆を少し、冷やしたトマトを二切れ。そういう脇役の盛りつけに、ちょうどいい大きさなのです。
古いそば猪口には、藍で描かれた文様のあるものが多い。網目、蛸唐草、菊。氷を一つ入れて麦茶を注ぐと、藍の線が水の向こうで少し揺れて見えます。その揺らぎが、夏の器の楽しみの一つです。
暑い盛りには、冷やし鉢のようにも使います。よく冷えた水にところてんを浮かべて酢を少し。あるいは白玉をいくつか沈めて、黒蜜をひとまわし。深さのある器は、汁気のあるものをよそっても手が汚れにくく、片づけも楽です。朝の食卓なら、冷たい味噌汁を注いでもいい。夏のそば猪口は、そばの季節を待たずに働きはじめます。
値の張るものを選ぶ必要はありません。骨董市の隅に、絵付けの少しゆるいそば猪口が、何客か重ねて並んでいることがあります。揃いでなくてかまいません。ばらばらの猪口を家族の数だけ選んで、めいめいの手元に置く。柄が違うと、どれが自分のものか、自然と決まっていきます。それも夏の食卓の、ささやかな話の種になります。
古いガラスの、涼しさの見せどころ
夏になると、ガラスの器に手が伸びます。明治や大正のころの和ガラスには、今のガラスにはない少しの歪みや、細かな気泡が残っているものがあります。厚みも一定でない。その不揃いなところに光が当たると、水を張っていなくても涼しげに見えるから不思議です。
素麺を氷水と一緒に張るなら、口の広いガラス鉢が向いています。冷やした果物なら、脚のついた小ぶりのコンポート。麦茶や冷酒には、背の低いぐい呑みほどのガラスがよく合います。透明なもの一辺倒にせず、藍色や淡い緑の差したガラスを一つ混ぜると、食卓に涼しい影ができます。
使う少し前に、冷蔵庫でそっと冷やしておく。それくらいの扱いで、夏のあいだ長く付き合えます。ガラスは割れるものだと分かったうえで、それでも毎日の卓に出す。そう決めてしまうと、かえって気楽に使えるものです。
片口で注ぐと、卓に余白が生まれます
片口は、注ぎ口のついた小さな鉢です。もとは醤油や酒を移すための道具ですが、夏の食卓では冷酒の器として使うのが好きです。徳利のように改まらず、けれどペットボトルから直に注ぐよりは、ずいぶん様になります。
よく冷えた酒を片口に移して、卓の中ほどに置く。銘々のぐい呑みへ、めいめいが好きなだけ注ぐ。その手数がひとつ増えるだけで、いつもの晩酌が少しだけあらたまります。片口のまわりには、あえて何も置かない。豆皿に塩をひとつまみ、あるいは冷やした胡瓜を数切れ。余白のある卓は、それだけで涼しく見えます。
片口は、酒だけのものでもありません。だしを張って冷やし茶碗蒸しの汁を注ぐ、手作りのドレッシングを入れて回しかける。注ぎ口がひとつあるだけで、卓の上での役目がぐんと増えます。夏は冷たい汁ものを扱う場面が多いので、片口の出番も自然と増えていきます。ひとつあると、思いのほか頼りになる器です。
冷酒に何を選ぶかは、その日の気分でいい。辛口をきりりと冷やす日もあれば、香りのよいものをゆっくり飲みたい夜もあります。贈り物にいただいた一本を、古い片口で開ける。そういう晩は、器と酒の取り合わせを考える時間そのものが、ささやかな楽しみになります。
どんな酒を選んでも、片口に移すというひと手間は変わりません。器がひとつ間に入るだけで、飲む速さがゆるやかになる。夏の夜は、それくらいの間があるほうが、涼しく過ごせる気がします。
器を、少しだけ冷やしておく
夏の器で一つだけ覚えておくと役に立つのは、器そのものを冷やしておくことです。冷たい料理を常温の皿に盛ると、せっかくの冷たさがすぐにぬるむ。使う三十分ほど前に、ガラスや磁器を冷蔵庫に入れておくだけで、口に運ぶまでの冷たさが変わります。
冷やした器は、表面にうっすら露を結びます。その曇りが、見た目にも涼しい。ただし、冷えたガラスに熱いものを注ぐのは避けてください。急な温度差は、古い器にはこたえます。冷たいものは冷たい器へ、温かいものは常温の器へ。夏のあいだは、その使い分けだけ頭の隅に置いておけば十分です。
布巾を一枚、卓の脇に用意しておくのもいい。露を結んだ器を持ち上げるとき、手がすっと拭える。小さな備えですが、こういう手当てが、暑い日の食卓を静かに整えてくれます。
絶版になった器の本を、夜に探す
器を選ぶ目は、市に通うだけでなく、本からも育ちます。やきものやガラスの図録、暮らしの器を集めた古い随筆。そういう本を一冊手元に置くと、次に骨董市で器を手に取るとき、見えるものが少し変わります。
ただ、器の本は、良いものほど絶版になっていることが多い。古書店をのぞいても、なかなか出会えません。夏の夜、涼しい部屋で探し物をするなら、絶版本の復刊をリクエストできる仕組みをのぞいてみるのも一つです。同じ本を待っている人が、思いのほかいることに気づきます。
読みたい本がすぐに手に入らないのは、少し寂しいことです。けれど、探しているあいだに別の本と出会うこともある。器も本も、めぐり合わせのあるものだと思えば、待つ時間もそう悪くありません。
花を一輪、氷を一つ
夏の食卓は、あれこれ足すより、涼しさを一つ選ぶくらいがちょうどいい。冷たい器に、冷たいものを少し。片口に、よく冷えた一杯。そば猪口の底で揺れる藍。そのどれか一つがあれば、暑い晩の食事は、それだけで少しやわらぎます。
古い器は、立派な床の間だけのものではありません。麦茶を注いだそば猪口、素麺を張ったガラス鉢、塩をのせた豆皿。そういう暮らしの器から入って、少しずつ好きなものが分かってくる。夏はその入口が、いちばん広く開いている季節だと思います。
食卓の隅に、一輪挿しをひとつ。露草でも、庭の茗荷の花でもかまいません。器と花と、よく冷えた一杯。それだけの支度で、帰り道にふと思い出すような、静かな晩になることがあります。