「鑑定書付きですから」と言われた瞬間、値札の重みがふっと軽くなった――そんな経験が、私にはある。三十年ほど前、初任給の数か月分をはたいて求めた掛軸がそうだった。箱には由緒ありげな箱書きがあり、添えられた紙には鑑定の一文が記されていた。それだけで安心してしまった自分を、今なら疑う。以来、心が動いた品ほど一晩置き、鑑定書という紙一枚に何が書かれ、何が書かれていないかを、翌朝もう一度読み直す癖がついた。ここに記すのは、その反省を土台にした随筆であり、個々の場面は事実の証言ではなく仮想として読んでほしい。真贋そのものの断定は、この文章の役目ではない。

鑑定書は「安心」の紙ではなく「手続きの記録」
鑑定書と聞くと、それさえあれば真贋の議論が終わる紙、という気がしてくる。だが実際には、ある時点で、ある基準に基づいて、誰かがその品を見て判断した――という手続きの記録にすぎない。判断した人が誰で、どの分野を専門にしているか。いつ、何を根拠に見たか。その記録が丁寧であるほど信頼の置ける手がかりになるが、記録である以上、後から作られたり、写しが独り歩きしたりする余地も残る。「鑑定書があるから安心」ではなく、「この鑑定書は何を、いつ、誰が見た記録なのか」を確かめる。順番を間違えると、紙の重みに気持ちが先に動いてしまう。
鑑定機関にも「顔」がある――分野で仕組みが変わる
骨董・古美術と一口に言っても、刀剣、書画、陶磁器、彫刻ではそれぞれ専門の目が異なる。分野ごとに、それを専門に見る団体や窓口が別に存在するのが実情で、ある分野の鑑定に強い機関が、別の分野でも同じ精度を持つとは限らない。たとえば刀剣の世界には、公益財団法人として刀剣類を専門に審査し鑑定書・認定書を発行してきた日本美術刀剣保存協会のような体制があり、対象を「銘が正真かどうか」「無銘であれば時代や作者をどう推定するか」という決まった観点で見ている。書画や陶磁器では、美術商が集まって運営する評価・鑑定の仕組みが別に育ってきた分野もある。だから「鑑定書」とひとくくりにする前に、その一枚がどの分野の、どんな体制の中で発行されたものかをまず確かめる。これは特定の窓口の優劣を語る話ではなく、仕組みの成り立ちを知っておく、というだけのことだ。
その一枚は、何を保証し、何を保証していないか
証明書という言葉の響きに、つい「すべてを保証してくれる紙」という期待を重ねてしまう。だが公的な証明の中にも、対象を限定して確認するだけのものがある。文化庁が扱う古美術品輸出鑑査証明はその好例で、これは輸出しようとする品が国宝・重要文化財や重要美術品等認定物件に該当しないことを確認する証明であって、真正性そのものや市場での値打ちを保証するものではないと、制度の説明で明確に線引きされている。国の窓口が出す証明書でさえ、保証の範囲は限定的なのだ。だとすれば手元の鑑定書についても、「何を鑑定した紙なのか」「何は書かれていないのか」を、恥ずかしがらずに読み直したい。作者名の一行に気を取られて、鑑定の対象や年月日の欄を読み飛ばしていないか。私自身、そこを読み飛ばして高い授業料を払った側の人間だから、なおさらそう思う。
箱書き・共箱は、もうひとつの手がかり
鑑定書と並んで語られやすいのが、箱書きと共箱だ。作者や伝来を示す手がかりになる一方で、箱だけを後から誂えたり、書き付けを装ったりすることも起こり得るため、鑑定書と同じく単独では決め手にならない。箱書きの文字をどう見るか、真田紐の結び方や墨の入り方に何を確かめるかといった読み方そのものは、この記事では深追いしない。より詳しい手順は共箱・箱書きの読み方にまとめてあるので、そちらに譲る。ここで言いたいのは、鑑定書と箱書きは別の層の情報であり、両方が揃っているからといって片方の弱点を補い切れるわけではない、ということだけだ。
来歴という、もうひとつの補助線
鑑定書・箱書きに加えて、来歴――その品がどんな手を渡り、どんな展示や記録に登場してきたか――も、真贋を考えるうえでの補助線になる。誰が長く所蔵していたか、いつどこで展示・売買された記録があるかは、単独の証明にはならないが、複数の手がかりが同じ方向を指しているかどうかを確かめる材料にはなる。逆に、来歴がまったく語られない品、聞くたびに説明が変わる品には、慎重になっていい。来歴を尋ねること自体は、相手を疑うふるまいではなく、確認の作法のひとつだと私は考えている。
贋作は、紙の仕組みの隙間も心得ている
贋作がなぜなくならないのか、その歴史的な背景はなぜ贋作はなくならないのかに譲るが、ここで触れておきたいのは、贋作が品物そのものだけでなく、それを取り巻く紙の仕組みの隙間も突いてくる、という点だ。本物の鑑定書の写しが別の品に添えられたり、箱だけが取り替えられたりすることもあり得る。だからこそ、鑑定書・箱書き・来歴のどれか一枚ではなく、複数の層が矛盾なく重なっているかを見る姿勢が要る。どれか一つが立派に見えるほど、かえって他の層を確かめる手を止めてしまいがちだ、というのが私の失敗から学んだことだった。
確認の順番――鑑定書から入らない
心が動いた品ほど、鑑定書や箱書きの立派さから入りたくなる。だが順番を変えてみると、見えるものが違ってくる。
- まず現物そのものを、時間をかけて見る。鑑定書を読む前の第一印象を、自分の中に残しておく。
- 箱・共箱・付属品があれば、それらと本体の状態が矛盾していないかを見る(詳細な読み方は共箱・箱書きの読み方へ)。
- 来歴――いつ、どこから、どんな経緯でこの品に出会ったか――を尋ねる。答えが曖昧なら、それも記録しておく。
- 鑑定書があれば、発行元・鑑定対象・年月日を読み、「何を保証し、何を保証していないか」を自分の言葉で言い直してみる。
- ここまでで判断に迷いが残るなら、一晩置く。翌朝、同じ順番でもう一度たどり直す。
「掘り出し物ですよ」という言葉が財布を緩めるのは、たいてい、この順番を飛び越えて鑑定書の一行だけを見たときだ。順番を守るだけで、急いた気持ちの何割かは静まる。
値打ちが気になったら、急がず専門の窓口へ
実家の蔵や親の遺した品を前にすると、「これは価値があるのか」という問いが真っ先に浮かぶのは自然なことだ。ただ、この記事で述べてきた通り、真贋も相場も、素人の目や一枚の紙だけで断定できるものではない。値打ちが気になったときは、焦って結論を急がず、分野に応じた鑑定機関や信頼できる専門店に相談する、という一手を挟んでほしい。実家の蔵の整理を控えている方には実家の蔵の査定もあわせて読んでもらえたらと思う。最終的な真贋・鑑定額の判断は専門家に委ね、私たちにできるのは、慌てず順番通りに確かめる、その手前までの備えだと思っている。